2014年8月15日

2014連合徳島平和行動 in ナガサキ

連合徳島の仲間28名が2014平和行動(平和の折り鶴をナガサキへ)に参加しました。南部地協からは2名が参加しました。
2014年8月9日朝、連合徳島総勢28名(うち南部地協から2名)の参加者を乗せたバスが長崎平和祈念公園に到着しました。
台風11号の襲来で51年ぶりに屋内での開催かとあやぶまれましたが、みんなが「奇跡だ」というほど、当日は 前日の雨曇りとはガラリと変わって、すがすがしい青空が覗く好天気になりました。

  
 :阿南支援学校の生徒さんが折ってくれました :南部地協に届いた働く仲間からの折り鶴です

 


                           連合徳島に届けました

 

徳島県内のたくさんの人が心をこめて折ってくれた「平和の折り鶴」をみんなで分け合って持ち、バスを降りる。長崎、8月9日、平和祈念公園。自然と気が引きしまります。

「戦争をしてはいけない、軍隊を持つな」
「みんなで平和な日本をつくりましょう!」
「仲良く生き生きと暮らせる世界をつくりましょう」
公園のあちこちに集まってきたたくさんの人たちの中から、色々な声が聞こえてくるようでした。

私達は真っ先に原爆慰霊碑に向かいました。
そして、県民の皆さんのさまざまな願いがこめられた「平和の折り鶴」を捧げました。
みんなで心をこめて合掌し「戦争と核兵器のない平和」を守ることを誓いました。
まず、このことが私たちの大きな任務であったのです。

長崎市は7日、台風11号の影響で悪天候になれば9日の平和祈念式典の会場を51年ぶりに屋内で 行わざるを得ないとの方針を明らかにしました。当日夜が明けたころはまだ雲が多いので、もしかしてと心配しましたが、式典が始まるころには青空が少しずつ見え始めました。

その青空のもとで長崎市の田上富久市長は集団的自衛権に言及し、
「いまわが国では、集団的自衛権の議論を機に、「平和国家」としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされています。」
「被爆者たちが自らの体験を語ることで伝え続けてきた、その平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、 という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、 耳を傾けることを強く求めます。」 と力強く訴えました。

この田上市長の言葉は日本だけでなく、世界中の人々を大いに感動させたのでした。
見上げると、どんどん灰色の雲がばらけて青空が広がり、平和祈念像の力強い右腕が、平和を約束するかのように 空を指してのびていました。

田上市長によると、長崎で核兵器廃絶を求める署名活動を進める高校生たちの合言葉は「ビリョクだけどムリョクじゃない」だそうです。 誰かが言いました。ビリョクだけれどキョウリョクすればキョウリョクだ、と。

被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた城臺美弥子(じょうだい・みやこ)さんは、
居並ぶ安倍総理らの前で「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか」
と厳しく批判しました。

原爆が投下された11時2分には万感の思いを込めた黙祷が捧げられました。

式典終了後、午後から「長崎平和公園」でのピースウオークに参加しました。
また原爆資料館では、子供たちにとっては衝撃的な内容でしたが、現実をきちんと受け入れるという意味で 有意義なことでありました。きっと魂の奥底に何かが残り、これから生きていくうえでの大きな糧となるでしょう。

皆さん、平和の折り鶴、本当にありがとうございました。
皆さんの平和を願うあついご意志は、しっかりと届けさせていただきました。
でも「一家庭一羽」のこの「平和の折り鶴県民運動」の趣旨は、私達が 「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に折り鶴を届ければ終わりというわけではありません。
徳島に帰ってからも、
平和を守ることは戦争ができることだ、とばかりに安倍首相が服の下に鎧を隠して 日本をどんどん軍事国家に作り上げようとする流れを、
私たちは、
「微力だけれど無力じゃない」力
「協力すれば強力になる」力
を集めて、必ず押しとどめましょう。

                           2014連合徳島平和行動・inナガサキ

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